書斎は犬と同居

犬との生活を再開しました。

2018年05月

体が弱くて、食が細かった。
結果、児童向けの本を読むことが多かった。
外で、同年齢の者と遊ぶことが少なかった。
空想することを覚えた。
現実を見ることが身に付かなかった。

想像することや予想することに傾き、先のことばかりに目を向け、計画することが好きな大人になった。
事実を見て、現実に向かうことを避ける大人になった。

子供に、本を読ませるのはよいことばかりではない。
特に、児童向けのいわゆる良書や大人が選んだ推薦図書のようなものばかりはよくない。

子供の時の読書にはよいこともある。
それは、学校の成績に結びつくような読解力や文章力ではない。
子供の頃の読書で得られたことは、自分の部屋にいても楽しみを見つけられることだろう。
そして、そのことは、私の年齢になってもありがたい。

 ウドをもらった。まだ若い山菜のウドだ。山で採った竹の子ももらった。
 ウドは、カミさんが天婦羅と酢味噌あえにしてくれた。
 竹の子は、味噌汁と竹の子ご飯にしてくれた。
 
 家族で食べた。

 竹の子は、すぐに料理できるように下ごしらえがしてあった。カミさんが言う。この下ごしらえが大変なんだよ。

そろそろ今日が終わる。

一日が終わるなんて感じたことがなかった。
ましてや、そろそろ終わるかな、なんて思ったことがなかった。

一日が始まる、とは今までもよく思った。

今日は、思う。
一日の終わりを。
そして、終わりまでには、もう少し時間がある。
それが、そろそろ今日が終わる、という感覚だ。
そう思うと、寂しい。
寂しいのと同時にほっとする。

もうそろそろ今日が終わる、というこの感じ、わるくないなあ。aIMG_2387


成果はどうあれ、仕事でも遊びでもがんばろうと思ってきた。
がんばりなさい、と若い人に向かって言ってきた。
がんばることと、がんばらないでダラダラやることを比べたら、何事でもがんばる方がよいと信じていた。

がんばることにも、よくないことがある。
がんばることが、ない物ねだりになる場合は、がんばらなくてもよい。
がんばることが、他人より高い評価をされるための場合は、がんばらなくてもよい。

がんばることとがんばらないことに、それほどの差があるとは思えない。
がんばりが必要なのは、スポーツの試合やゲームや勝負事の場合だ。

病気を治すためにがんばるという言葉をよく聞くが、私はそうは考えない。
がんばらないで、それでいてあきらめないでやることの方が、わたしにはしっくりする。

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花が変化する。
はじめはつぼみがふくらんだような姿。
それが、下向きながらだんだんと開いてくる。
いつも下向きでつつましい花と思っていたが、そうでもない。

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